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ヌーヴェル ポルト

 今月の顔 8月    Août 2017

Stromae
ストロマエ

ストロマエStromaeが「Formidable/素晴らしい」など13曲を収録し、350万枚以上売り上げたと言われるアルバム「Racine Carrée/平方根」をリリースしたのは201316

 
Formidable 歌詞

・・素晴らしい(formidable)、君は素晴らしかった、僕は最低だった(
fort minable

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No. 1489        2017.8.07

ジャンヌ・モロー Jeanne Moreau、死去                      


Jeanne Moreau
が2017年7月31日Paris 8区 rue du Faubourg  Saint-Honoréの自宅で老衰のため死去。1928年1月23日Paris生まれ、享年89歳。Moreauは「Ascenseur pour l’échafaud/死刑台のエレヴェーター」、「Moderato cantabile/雨のしのび逢い」、「Jules et Jim/(原題)ジュールとジム、(邦題)突然炎のごとく」、「Viva Maria!/ビバ マリア」など130本以上の映画に出演した映画・舞台俳優。また独特の、多少嗄れた声で歌う歌手としても知られていて、1953年Antoine劇場で上演された「L’heure éblouissanteまばゆい時間」に出演した際に歌った「L’amour s’en vient, l’amour s’en va愛は訪れ、愛は去って行く」及び「J’ai choisi de rire/私は笑うことを選んだ」を収録したSPを出している。Moreauが歌手として注目されたのは1962年フランス公開François Truffaut監督の「Jules et Jim」でCatherineを演じ、劇中で「Le tourbillon/つむじ風」(Cyrus Bassiak作詞/Georges Delerue作曲)を歌ってから。この曲は1962年映画のサウンドトラックとしてEPに収録されリリースされた。その後Jacques CanettiPolydor社とPhilips社のアートディレクター、プロデューサー)の勧めなどによりアルバムをリリース。Moreaudiscographieは次の通り:

1963年ファーストアルバム「Chante 12 chanson de Cyrus Bassiak/シリュス・バシアクの12曲を歌う」(Cyrus BassiakSerge Rezvani(1928- 画家、作家)が作詞をする時に用いる偽名で150曲以上作っている) 収められているのは:「J’ai la mémoire qui flanche/途切れる思い出」、「La vie de cocagne/極楽生活」、「Ni trop tôt, ni trop tard/早過ぎもせず、遅過ぎもせず」、「Rien n’arrive plus/もう何も起こらない」など。

1966年「Chante 12 nouvelles chansons de Cyrus Bassiak/シリュス・バシアクの新曲12曲を歌う」収められているのは:「Jamais je ne t’ai dit que je t’aimerai toujours/私は永遠にあなたを愛すとは言わなかった」、「J’avais un ami/私には一人の友がいた」、「Des mots de rien/何でもない言葉」など

1967年「Les chansons de Clarisse/聖クララ会修道女のシャンソン」(Elsa Trioletの原詩にEugene Guillevecが脚色した歌詩にPhilippe-Gérardが曲を付けた17曲)収められているのは:「Aimer/愛すること」、「J’ai l’air de plaisanter/冗談の振りをする」、「La tricoteuse/編む女」など

1969年「Jeanne chante Jeanne/ジャンヌ、ジャンヌを歌う」(Jeanne Moreau自身の詩にJacques DatinAntoine Duhamelが曲を付けた12曲) 収められているのは:「La célébrité-la pubricité/名声-広告」、「Quelle histoire/何という話」、「L’enfant que j’étais/私はこんな子供だった」など

1981年「Chante Norge/ノルジュを歌う」(ベルギー出身の詩人Norge、本名Georges Moginの詩にPhilippe-Gérardが曲を付けた22曲) 収められているのは:「Le tueur et la tuée/殺人者と殺された女」、「Chanson à tuer/殺すためのシャンソン」、「Le petit non/ちょっとしたノン」など

2002年12月コンピレーションアルバムJeanne Moreau chansons過去の代表曲46曲をCD3枚に収録)収められているのは:「Le tourbillon」、Ah, les p’tites femmes de Paris/パリから来た女たち映画「Viva Maria」でBrigitte Bardotとデュオ、「India Song(映画「India Song」の主題歌 Marguerite Duras作詞Carlos d’Alessio作曲)及び前掲の曲など。

このコンピレーションのリリース際しMoreauLibération誌とのインタヴユーで次のように語っている。

問:今回のコンピレーションがクリスマスプレゼントの時期にリリースされたのは?

答:このアルバムが出たのを知ったのは皆さんと同じ時。これには一切タッチしていない。選曲に関しても、コンセプトに関しても。私には全く興味がない。

問:自分のシャンソンを聞くことはないのか?

答:聞くことはない。どうして聞かなきゃいけないの。

問:あなたの歌手としてのキャリアは・・。

答:歌手としてのキャリアなんてない。歌手と言うのは止めて欲しい。そう言われるのは好きじゃない。私は女優。歌う機会はあったけれどそれはあくまでも女優としての活動の延長線にあったから。私はダンサーになりたかったの。両親が離婚したとき母について行ったらきっと英語圏で生活し、ダンサーになっていたと思う。若い頃の望みだった。もっと言えばミュージックホールのダンサーになることが。私は自分自身で何かを選んだわけではなく、人生が私を選んだの。そしてある時期に女優になることに決めた。それについては強情だった。女優と言う仕事はあらゆることに道を開いてくれる。書くことに、演劇の演出に、映画に、歌に。

問:どのようにして歌うようになったのか?

答:小学校では歌の授業があった。合唱の授業が。一つのスペクタクルの準備を1年かけてやった。(歌い出す)「あそこの茂った木々の影の下に・・」、あるいはベートーヴェンの第7なんかをやった。そこで楽譜を読む勉強をした。当時の少女は皆そうだった。私の母はダンサーでしかも歌がうまかった。祖母もそう。二人ともアイルランド女性に特有のきれいな声をしていた。1930年代には誰もが歌っていた。タイル磨きも、画家も、流しの歌手も。あらゆるところに歌があった。私は子供時代の大半をパリ9区で過ごした。Les Martyrs地区、Place ClicyBatignolles地区で。Chaptal通りの小学校に通った。 父はFontaine通りとMansart通りに角にあったカフェレストランで働いていた。付近にナイトクラブがあったので、DamiaLucienne Delyleが通った。赤い髪の毛で大きな部屋着を着た女性が通った。その人を見て人々が「あれはFrèhelだ。」と囁いていた。そこには大衆のシャンソンがあった。私の若い頃にはパリの至る所に。それは愛を、不幸な愛を歌ったものだった。現在人々はほとんど歌わなくなってしまった。

40年代末にはコメデイー フランセーズにはダンスや歌の授業があった。そこで私は歌を学んだ。フェンシングの授業もあった。私は素質があったからフェンシングの選手になれたかもしれない。Molièreの芝居の中にも、Meriméeの芝居の中にも歌があった。少し後になるけれど、Simone Berriau演出の「L’heure éblouissante」では、若い娼婦の役をやりPaul Misrakiの曲を一人で歌 ったこともある。「愛は訪れ、愛は去って行く・・」って。

問: Cyrus Bassiakのシャンソンについては?

答:Bassiakは私の最初の夫で、私の息子Jéromeの父親でもあるJean-Louis Richardの親友だった。Jean-LouisBassiak夫妻たちとグループを作っていてよく一緒に行動していた。夜中車で走ってブルターニュ地方を旅行したりした。そのとき皆で歌った。50年代の末にTruffautに出会った頃は、幌付きのオープンカーFacel Végaで走りまわっていた。TrenetBassiakの曲を大声で歌いながら。「Le tourbillon」はBassiakiが私とJean-Louisの仲を歌った曲だった。「二人は知り合い、二人は離れ離れになり、再び巡り合い、そして別れた・・」

問:Truffautは最初「Le tourbillon」を映画「Jules et Jim」の中で使おうと考えていなかったのか?

答:さっきも言ったように、この曲は7年も前にJean-Louisと私のために作られたもの。映画とは全く関係のないものだった。でもこの曲は映画の雰囲気、「複数の男性の間で揺れ動いていた一人の女性が全ての男性を愛そうと決めた」にぴったりだった。

問:どういう経緯でこの映画に使われたのか?

答:この映画の撮影は順調ではなかった。資金も不足していたし、技術者がヘリコプターの下敷きになる事故もあった。撮影を中止しなければならなくなった。そんなある日Truffautが「歌でも歌おう」と言い出した。我々はヴォージュ山地の大きな山小屋にいたが、彼は音響技師を呼び出した。そこで私はBassiakのギターの伴奏で「Le tourbillon」を歌った。この場面を撮影していた

Truffautはそのシーンが気に入った。そして映画で使うようになった。この映画よりも以前に作られたこの曲がこの映画のシンボルに、そして、ほとんどTruffaut自身のシンボルになったことに驚いている。

問:1963年に最初のアルバムを録音した経緯は?

答:「Jules et Jim」の後Jacques Canettiが会いに来た。彼はフィリップ社にいたが「他に曲はないのか?」と私に聞いた。「あるわ」、「歌える?」、「ええ」。彼は直ぐ録音するようにと提案した。勢いに乗ってアルバムを2つも。30曲余りをElek Bacsikのギター伴奏で。BacsikMiles Davisを通じて知り合ったけれど映画「L’ascenseur pour l’échafaud」にも協力してくれたジャズギターの一人者だった。Bassiakのシャンソンの中には私が録音したことのないもの、録音したけれど世に出してないものなど彼のダンボール箱に収められているものが数多くあると思う。

問:「Le tourbillon」ヒットの後多くの作詞家から話があったのでは?

答:もちろん。でも私は「歌手」にはなりたくなかった。私が好きだったのは詩を歌うことだった。Canettiがベルギー出身の詩人 Norgeを紹介してくれ彼の自宅に訪ねたこともあった。私にとってはシャンソンよりも人々との邂逅の方が大事だった。

Marguerite Durasの「India Song」もそうだった。彼女の映画は皆メロドラマだった。「私はあなたが好き。でもあなたは私を愛していない。だから私は苦しい。」という内容の。でも彼女は素晴らしいシャンソンを書けるはずだった。だから彼女に言った

Margo、書いて、どんどん書いて、それを私が歌うから。」

問:1970年のアルバム「Jeanne chante Jeanne」では作詞もしているが?

答:私は精神療法を受けていた。私の精神分析医は何か書くようにと言ってくれた。そして書いたものを持って行った。そうしたら「これは美しいシャンソンになる。」と言われた。彼は正しかった。少なくとも書くことによって立ち直ることができた。

問:ステージで歌うことはあまりないが?

答:そう、確かに。CanettiMontreuxのフェステイヴァルに出演するように誘ってくれたことがある。3時間前からとても怖くなり声が出なくなってしまった。医者が来て診てもらい落ち着いたけど、舞台に立つ直前再び同様な事態になってしまった。

Royaumontの修道院で歌ったこともあるし、Palais de Chaillotで「Les chanson de Clarisse」を歌ったこともあるけれど、大きいステージは怖い。照明の中にいるとバックのミュージシャン達の顔が見えず不安だ。フラストレーションがたまる。

問:最近の歌手で好きなのは?

答:Alain Chamfortはちょっとcroonerだけど、いい。Christopheも気品あるシャンソンで悪くない。20区のcaféで歌われているslamもエネルギーに溢れていていい。Vincent Delermも好きだ。それにあの一字の若い男性・・

問:M?

答:そうM.それにJean-Louis Murat、私は彼の歌い方が好きだ。Muratとは一つの企画があった。Madame Desoulieresの詩を基にしたアルバムを作るという。最終的には彼はその企画をIsabelle Huppertと実現させた。私との企画が実現しなかったのは、彼は早急に実行しようとしたけど、私は、アイデアには賛成だったけれど、ゆっくり時間を掛けてやった方がいいと考えた。私はゆっくり型の人間になってしまった。

問:シャンソンは何を残しているか?

答:エネルギーを。それは一瞬の感覚、時には数分続くことはあっても、いずれにしても素早いもの。ショックと同じ。テーマのあるシャンソンなんて退屈なだけ。ある考えが一つの感覚と遭遇することが大事。

 

2010年11月9日「Le Condamné à mort/死刑囚」Etienne Dahoとのデュオ):Le Condamné à mort」は2010年が生誕100年に当たるジャン・ジュネJeanGenet(1910-1986)1942年刑務所で書いた処女詩集で、20歳の死刑囚Maurice Pilorgeをテーマにしたもの。詩集に収められている詩には1964年Hélène Martinが曲を付けていて、Martin自身やMarc Ogeretらが歌っている。今回のアルバムではMartinの曲をDahoが「我々に合うように」アレンジし、Moreauが語り、Dahoが歌っている。Moreauは50年代末にGenetと知り合い、Genetの脚本による映画「Mademoiselle」では主役を演じ、Genetの小説「Querelle de Brest/ブレストの乱暴者」が原作の映画「Querelle/ケレル」にも出演し、主題歌も歌っている。Moreauは「『Le Condamné à mort』は破廉恥で反体制的、だから好き。私は好きなことをする。年齢を重ねた者の特権」。収められているのは:「Le vent qui roule un cœur/一つの心を揺する風」、「Ö la douceur du bagne/おー徒刑の快感」、「Jai tué/私は殺した」、「Pardonnez-moi mon Dieu/神よ私をおゆるし下さい」、「Jai dédié ce poème/この詩を捧げた」など14曲。

他にMoreau

1979年Yves Duteilと「L’adolescente/青春期の少女」をデュオで歌っている。

1980年Guy Béatrと「Parlez-moi d’moi/私に私のことを話して下さい」のデュオで歌っている。

2009Boris Vianへのオマージュアルバム「On n’est pas là pour se faire engueuler怒鳴られるためにここにいるのではない」」には「Que tu es impatiente君は何とこらえ性がないんだ」を歌って参加。

2011年Têtes Raides(1987年にChristian Olivierらが結成したグループ)のアルバム「L’an demain/来る年」で「Emma/エマ」をデュオで歌っている。

La tourbillon」 映画「Jules et Jim」でhttps://www.youtube.com/watch?v=dcVcwwo8QFE

J’ai la mémoire qui flanche」 https://www.youtube.com/watch?v=o6uU2czYbOM

Emma」 https://www.youtube.com/watch?v=PWpan2HXKR8

 

 

 

 

 

 

 

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Pierre Perret ピエール・ペレ
Isabelle Aubret イザベル・オーブレ

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 10月1日(日)です。
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